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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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脱人間観察

なんと、本日二回目の更新。


こんな学生みたいなことをしていいのかと一瞬とまどいもあったけど、たまにはこんな日があったっていいと思う。うん。


さっきのブログを書いた後、俺は自問自答してた。

なんで・・・小さいころからこんなにも人を小ばかにしたり、人の噂話を好き好んでしてたんだろうって。



そのとき、俺の根底にあるまた一つの哲学みたいなもんが浮き彫りになってきた。


それは、「人間観察」だ。


俺は根本的にはすごい人間が好きだ。


この世界で一番面白いものは(言い過ぎか?)、人間だと思ってる。


そういった純粋な興味で、俺は人間観察を小さいころからしてきた。


一方で、俺が人間観察をしていた理由はもっと大きなものがある。


それは、人間観察によって得られる情報を、自分の人間関係の「材料」にしてるからだ。


俺は、昔から人間関係に苦手意識があるってことは、何度かブログに書いてきた。


そんな俺が人間関係をはぐくむために、小さいころから身につけたものこそ、この人間観察だったんだと思う。


その人を見て、外見、服の趣向、語調、トーン、口癖っていう一時的な情報から。

少しずつ一緒に過ごす時間が増えていく中で、その人の気質や性格、癖や思考パターンまで。

俺の中に少しずつその人の情報がストックされていき、漠然としたイメージができあがっていく。



そして、自分の中にある「こういう人には:、こういう接し方をしたらいい」っていう一種のマニュアルみたいなものを引っ張り出して接していく。

知らぬ間に、俺の中にはこんな「人間関係マニュアル」ができあがっていた。


無意識的にここまで観察してしまう俺だから、ちょっとした癖をすぐ覚えてしまうし、マネして馬鹿にしてしまう。

また苦手なところ、弱いところも見えてしまい、調子に乗った時はそこをいじってしまう。


こうしてさっきの話にでてきた、「やな満ちる」が出来上がっていた。



ただ、ここできちんと伝えたいのは、「人間観察」そのものが悪いものではないということ。

実際、良い意味で使えばとっても有効なものだし、とりわけ医療という人間関係がめまぐるしく動く環境では役に立つ。



だけど、俺が今回伝えたいことは、この「人間関係」とやらを自分の真ん中に置くのをやめるってこと。

自分の心の真ん中は、本当ならイエスを招くところなのに。

知らぬ間に、俺は「人間観察」っていう、俺が作り出した、能力というか哲学というか、そんなものがどしんと座ってる。

そしてそいつを自分勝手に使うからこそ、俺は人を傷つけてしまっていたんだとさっき思った。




なんだってそうだ。


人間観察だって。

ぜんっぜん話をぶっとばせばお金だって、恋愛だって、仕事だって。

それ自体はなんも悪くない。


問題は、それがあたかも自分にとって「神様」みたいに、一番にしちゃうことが問題なんだ。



ほんっとに、ほんっとに願ってることがある。


俺の真ん中にはいつもイエスに座っていてほしいってこと。

イエスにあって、俺は神様だけを見つめていたい。これはかっこつけじゃなくて、本当の願いだ。


今日また一つ、勝手に俺の心の真ん中に居座る「人間観察」っていうのを見つけた。

きっと明日もすぐ俺の心の真ん中に座るだろう。


でもこのことが明らかになった以上、俺はこいつにはどけてもらう。


それだけじゃなく、きっとこれからも、心の真ん中に座るやつらを見つけると思う。

そいつらにもやっぱり、どけてもらう。



あーーーーーーー

イエス様、あなたがいっちばん必要です。


おやすみなさい。

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