Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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ふぅー

誰かが、「忙」っていう字は、「心を亡くす」と書くんだと言っていた。


俺が大阪に来たのは、2014年3月25日。

ついに本当に半年が経ってしまった。


俺は、嫌だった。

「学生時代は熱いクリスチャンでいられるかもしれない。でも、社会に出たらそうはいかないってことが分かるよ。」

と言われる度に、なんかとても嫌な気持ちがした。


あきらめたくなかった。

社会に出て、忙しくて。

学生の時みたいに、早退もできないし、もちろん遅刻だってできない。

そして特定の人間関係の輪から逃げることはできない。

その中で、生きていかんきゃいけん。


そんな「社会」の中に出ることは、きっと大変なことだとは分かってた。


でもだからって、あきらめたくなかった。

クリスチャンとして、イエス様に出会った者として、

「こんなもんだ。」

なんて言いたくなかった。



だけど、、、


俺はあの時の俺に今なんというのかな。



少なくとも、俺はあの時の俺に胸を張って、「どうだ!」とは言えん。

それは言えん。



ここ数日、俺の心は神様から離れていた。

「忙しい」っていう隠れ蓑の後ろにいたけど。

実際のとこ、家に帰ったら寂しくてテレビを付けてたし。

三度寝しなければ、聖書を読んだり祈る時間もあっただろう。



俺にとって、神様と生きるということは、「必死こいて、あきらめんでしがみつく!」っていうイメージだった。

旧約聖書に出てくるヤコブが「俺を祝福してください!!!!」と神様にくらえついたみたいに。



そして、そうやってこれからもずっと生きていけると思ってた。

俺にはそれぐらいの情熱と意志と知恵ぐらいはあると思ってたんだ。



だけど、どうだろう。


俺の内側にはそんなものなかった。


俺にはイエス様の十字架の意味をいつもかみしめられるような情熱も。

強く前を向いて、毎日一歩ずつ踏み出すための力や意志も。

本当に大切なものを忘れず、大切に誠実にし続ける知恵も。


俺の内側にはなかった。


そう思った時。


「俺はどーしたらいいんですか、神様。」

って思った。

そして、聖書に出てくる人たちを思い出していた。


アブラハム、ヤコブ、モーセ、エリヤ、ダビデ、パウロ、ペテロ・・・・・・・


果たしてみんな、必死こいて神様にしがみついて生きてたんだろうか。


なんだか、、違う気がした。


正直、どの人も、彼らが必死こいて頑張ったってより、隣に神様が居てくれたんだなって思った。

むしろ、結構どうしようもない失敗してる人たちばっかりだ。

俺は人のこと言えないけど。笑



正直、俺はまだ神様との関係を、イエス様との関係を模索し続けてる。

ただ一つ分かったことは。


俺には神様にしがみ続ける力も知恵もない。


そして、神様も俺がそんなもんだってことを知ってくれてて、そしてなんとなくだけど今も隣に居てくださってるのを感じる。

もっと、もっと。


俺は神様を、イエス様を感じて生きていきたい。

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