Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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気付かされたこと。

おはようございます(^o^)

この顔文字マークが付いていることから、ちょっとだけ元気になったんだなこいつ・・・ってのが伝わったかと思います。笑


昨日は、神様がちょっとしたご褒美を下さいました。

MB石橋教会に出席した後、談話室で一緒に賛美をしているチームの人と話す時間が与えられ、そして夜には僕が大阪に来るきっかけを作ってくださったSさんが家に招いて泊めて下さいました。

Sさんは、僕が尊敬するクリスチャンドクターのお一人です。

僕より数年間先に淀川キリスト教病院の研修を終えられ、今は眼科医としての道を一歩ずつ歩んでいます。

Sさんは、どこを切っても優しい思いやりのある方です。

昨日も、僕のためにおいしいご飯を用意してくださったり、わざわざお風呂にお湯を入ってくださったり、後輩の僕に対して本当に思いやりを尽くしてくださいました。


そして、夜に二人でゆっくり最近苦しんでいることを話す時間が与えられました。

振り返れば、学生時代には旭川医大の聖書研究会や、北海道KGKの集会など、定期的にこんな話ができる場所があったのに、最近はほとんどありませんでした。


だから、なんだかそんな時間が懐かしく、幸せでした。



昨日のメッセージの中で、僕も知っている「大切な君」という絵本の話が出てきました。

木彫りの人形たちの住む町のお話で、そこの住民たちはあることに熱中していました。

それは、すごいことができたり見てくれが素敵な人につける「星印」と、失敗やだめなひとにつける「ダメ印」という二つのシールをお互いに付け合うというものでした。

住民たちはそのシールの付け合いに、いつも夢中になっていました。

そんな中、主人公のパンチネロはいくら頑張っても失敗ばっかり。見てくれも大きな鼻で、ダメ印を付けられる格好の的になってしまいます。

どんどんダメ印が付けられ、落ち込むパンチネロは、ある時ルシアという少女に出会います。

その少女は、なんとシールが一つもついていないのです。

不思議に思ったパンチネロは、ルシアにその理由を聞きました

すると、「エリ」という自分たちを創った彫刻家のところに行けばいいんだと言うのです。

半信半疑でエリのもとへ行くパンチネロ。大きくて優しいエリに出会ったパンチネロは、今までの苦しかった思いのたけを全て伝えます。「どうして自分をこんな風に創ったんですか。」そんな思いも。

すると、エリは「失敗なんかしていない。私が君をそんな風に創った。君はそのままでいいんだ。そのままで最高の作品なんだ。」と伝えます。

パンチネロはその言葉の意味の全ては分かりませんでした。だけど、自分から一つのシールがはがれたことに気づきます。



簡単に、、と思ったけど結構長くなってしまった(^^;

僕はこの話を思い出しながら、自分がまさにシールの付け合いをしていたことを気づかされました。

研修医の同期の中で、お互いに評価したり、評価されたり、それはまさに星印とダメ印の付け合いのようでした。



でもふと、「なぜだろう」と思いました。

なぜ、創り主なる神様を知っていながら、、みことばだって呼んでいたし、眠りこけることが多かったけど祈っていたし、なんとか行ける時は教会に行っていたし。

それなのになぜ・・・僕は気づいたらシールだらけになっていたんだろうって思いました。



だけど、、Sさんと話しながら、実は僕は神様を見失っていたんだと気づかされました。

僕は何を信じていたのか。何を力にしていたのか。


それは、自分自身でした。


何とかデボーションを続けている自分、祈り会に行く自分、教会に通う自分。

そんな自分のことを信じて、「必ず大丈夫だ。必ず乗り切れる。」と歯を食いしばっていたのだと気づかされたのです。




神様はどこにいらっしゃるのですか。

そんなことを口にした時、あるみことばが思い出されました。

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」
マタイ25章40節


もしかしたら、神様は僕が思ってもみなかったところに、ずっといらっしゃったのかもしれません。



今日は、これから準夜勤。

一人ひとりの方との関わりに、イエス様の愛をもって。

行ってきます!

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-2 Comments

りか says..."お疲れ様です"
パンチネロの絵本のシリーズは、時々読み返すとものすごいメッセージが迫ってきます。

今日ファミレスで、満ちるさんの事をふと考えました。

いつもブログを読んで自身の事を振り返るので、コメントも自分語りですみません。

私はクリスチャン医師のもとで半年間入院しましたが、

毎日長々叱られたり、子どものような遊びで笑ったりしていましたが、担当医は私に神の愛を理解するのではなく感じることを第一課題とさせました。

それは家族内でひとりの信仰者の私にとって、クリスチャンホームの疑似体験でした。

だから私にとっては退院とは、クリスチャンホームを出るという体験でした。もう毎日朝夕お祈りや賛美や証しをする父のような人がいません。心細い事です。

でも、私はここまで信仰が回復したし、イエス様がいるから大丈夫と思って頑張っていました。

私はアルバイトに休まず通っていましたが、全く同じ仕事を以前経験していたのが辛い結果になりました。周りの期待が大きすぎて、私は潰れてしまいました。

私には前職のくだらないプライドと、新しい職場から逃げたくないという意地がありました。

しかし、自信のあった事が出来なかったり、周りの悪評を聴く度に、職業人として、社会人として、クリスチャンとして、どんどん自信をなくしていき、自力で回復しようと努力する度にボロボロになりました。

×印だらけのまま、意地だけで、生活にならない生活を続けていました。

そして満ちるさんの記事を読んで思いました(絵本は読み返してません)

○×をつけるのは人間じゃないし、物事の良し悪しなんて神様にしかわからなくて、その中で人間はみこころを求めるしかないのでしょうね。

そして人間の目に見える○×など本質的な価値ではなく、私たちひとりひとりが、誰もが主に深く愛されていると日々思い直さなくてはならないのでしょうね。

満ちるさんも北海道を離れて、厳しいお仕事の中で心身も霊も葛藤される姿がブログから伝わります。

そんな中でも新天地で暖かい日もあるし、頑張れる日も落ち込む日も、主の愛は変わらないのですね。学生時代の経験や繋がりも消えません。でも遠くてとても寂しいでしょう。

愛されて、お委ねしていきましょう。

厳しいお仕事だからこそ、いつもご自分を大好きでいてください。

神様が全てご存知だからこその今回のご褒美でしたね。

私にも企業の内定が出ました。

また読みに来ます!
2014.11.06 17:14 | URL | #- [edit]
満ちる says..."Re: お疲れ様です"
りかさん、こんばんは。
返信がまたまた遅れてしまい、ごめんなさい。
このブログが、りかさんが自分のことを振り返るきっかけになっていることがとっても嬉しいです。

神の愛を理解することではなく感じること・・・

ほんとにそう。
ほんとにそうですよね。

自分は未熟で小さくて。
今も毎日葛藤しています。
ふとしたときに、クリスチャンってなんだろうって思います。

みんな、それぞれ悩んでますよね。

そうして悩んで転ぶたびに、横におられるイエス様に気付くんですよね。

僕も今回気付きました。
人は弱い。
失敗したり、苦しい思いをしなければ、大切なことに気付かない。

これからは転びたくない。でも、イエス様にあってならまた転びたい。笑

ほんとに変な気持ち。笑


ただただ、イエス様の栄光が明らかになりますように。
2014.11.21 00:27 | URL | #- [edit]

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