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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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しお味

こんばんはー(^^)

今日も無事に終えられたことを感謝!

しんどかったけど、、乗り越えられた今、そのしんどかったことも感謝できる。



イエス様にあっては、「すべて」が感謝に変わる。

これは、本当に本当にすごいこと。



生きる上で、信じられないほどの奇蹟だと思う。



傷つくことも。

傷ついた人の心に寄り添うためのやさしさになったり。

自分の小ささを知って、へりくだった心になったり。



忍耐することも。

その先にある将来は、くらべもののにならないほどの喜びになる。



本当に、信じられないほどの奇蹟だと思う。




さてさて、今日は「しお味」について考えてみたい。

ポテトチップスでも、しお味はいまだに根強い人気。

コンソメに並んで、二大ポテチ味。



ま、そんなことはどうでもよくて。


聖書にはこんな不思議なたとえがある。


「あなたがた(イエス様を信じる人)は、地の塩です。

もし塩が塩けをなくしたら、

何によって塩けをつけるのでしょう。

もう何の役にも立たず、外に捨てられて、

人々に踏みつけられるだけです。」

マタイの福音書5章13節



本当に面白いたとえだと思う。

社会に出るようになってから、この言葉の意味が実際に心に迫ってくるようになった。



社会の中で働き、人と関わりを持ち、生きる中で。



すごい、このたとえがしっくりきた。



日本人に分かりやすくイメージするなら。


きゅうりと塩がいいと思った。

(まぁ、正直なすびでも、大根でもいいんだけど。小さいころに教会のキャンプでよくやったからきゅうりにした。)



きゅうりを塩漬けにするためには。

袋に入れたきゅうりに塩を入れ、もう徹底的にもみこむ。


しゃかしゃか。

しゃかしゃか。


もみこめもみこむほど、きゅうりは味がしっかりしみこむ。

そして、しみこめばしみこむほど、きゅうりは日持ちする。腐りにくくなる。



俺たちクリスチャンも、同じなんだと思う。



きゅうりと塩を分離してたら、、きゅうりは腐る。

それに塩が塩とだけ一緒にいて、、塩として何の意味がある??

それは意味がない。

塩は、もみこまれてこそ意味がある。

存在する意味がある。



俺たちクリスチャンも、そうだと思う。

きゅうりは社会。


社会はきゅうり。


そこに、俺たちはもみこまれる必要がある。


そりゃ、塩と一緒にいるほうが楽だろう。

でも、それは塩である意味がないだろう。



もみこまれるとき、痛みは伴う。困難はある。



でも、俺たちが「塩としてどう生きるか!!!」なんて考えなくても。

塩である俺たちの「存在」そのものが、イエス様によって意味を持つ。


影響を与える。



だから、根本的に一番大切なことは、塩として社会に「存在する」ことなんだと思う。


クリスチャンとして、あなたがそこに存在することに、本当に意味がある。


時に、一人の人間として無力さや罪深さに打ちひしがれることだってあるかもしれない。

でも、そんなことはイエス様にあっては関係ない。


本当に、その場所に、クリスチャンとしてあなたが存在することそのものに意味がある。

ここは、とっても大切なことだと思う。



こんな感じで、今日はおしまい。


おやすみなさーい♪

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