Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

「信仰とは何か?」 2016 ver.

あけましておめでとうございます。

今年も、宜しくお願いします。


このブログは、神様が僕に始めさせて下さった、大切な使命のひとつだと思っています。
早いもので、書き始めてから今年で7年目に突入します。

何度も挫折しそうになりましたが、こうして続けることができているのは、神様とそして皆さんのおかげだと思っています。

これからも、神様に祈りつつ、聞きつつ、「ことば」を大切にして続けていきたいです。


話は変わりますが、皆さんは大晦日をどう過ごされましたか?

僕は、研修医の同期二人と三人過ごしました。
実は去年もこの同期の二人のうちの一人と一緒に年を越しました。
2年間ずっと一緒に苦楽を共にしてきた仲間たちです。
きっと、来年からは後期研修に入って今までのようには会えなくなってしまうので、同期たちと年を越せて嬉しかったです。


佐々木家にとって、大晦日はとても大切な日でした。
小さい頃は、父さんは大晦日になると、7人の子供たち一人ひとりを呼び出します。

そして、それぞれ約1時間ずつ、計7時間もの面談があります。笑

今思えば、どれほど父さんがエネルギッシュだったのか、いや子供思いだったのかと感じます。

しかも、その密度の濃いこと、濃いこと。

出だしから父さんにこう聞かれます。

「父さんに、いや神様に隠していることはないか?」


僕を含め、兄弟はみんな顔色を変えて、1年を振り返ります。

すると、ボロが出るわ、出るわ。

それまで隠していたことを、年末に洗いざらい告白することになるのです。



父さんとの面談を終えた兄弟はこぞって、

「どうだった!!!何聞かれるの!!」

と、まるで試験問題かのように申し合わせました。


そして、全ての面談が終わった後、いよいよ僕らが楽しみにしているごちそうの時間がやってきます!

がしかし、その前に最後に家族全体に対する、一年間の総括があります。
(これがまた長いのです。)

気づけば、目の前で湯気が立っていたごはんはみるみるうちに冷めていきます。


そして、約1時間の総括が終わり、夜8時頃に年末最後の晩餐が始まります。
(母さんは静かにレンジでごちそうを温め直します)

その後みんなでゲームをしたり、紅白を見たりして、なぜか毎年ジャニーズジュニアの番組でカウントダウンをするのです。
(理由はおそらく小さかったころお姉ちゃんが隠れジャニーズファンだったからだと思われます。)


父さんは、果たしてこの1日を通して、子供たちに何を伝えたかったのだろうと、一人になって思います。


僕は、あれほど辛い1日でしたが、大晦日が大好きでした。


父さんと、母さんの言葉にならない愛を感じる1日だったからです。

「本当に、この家に生まれることができて良かった。」

なぜだか、そう思えました。


そんな大晦日は、実は大学6年が最後だったのだということを、働き始めてから気づきました。
もう、あの大晦日は味わうことができませんが、僕ももし子供が与えられたら、「この家に生まれて良かった。」と思ってもらえるような、そんな大切な1日にしたいです。



とまぁ、今年も前置きが長いですね。



2016年最初のテーマは、「信仰」です。

僕は未熟なクリスチャンですから、
「信仰とは○○です!!!」
なんて、語ることはできません。


しかし、2016年1月現在の僕にしか語ることができない、「信仰」についてのメッセージがあるとも思います。


聖書には、信仰についてこう書いてあります。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」へブル人への手紙11章1節


信仰とは何か、端的に書いてある箇所です。
何度も箇所を読んできましたが、どうも分かるような、分からないような。
つかめたような、つかめていないような。


「結局信仰とは何なのだろう?」
とずっと思っていました。


まさに、その時の僕の心情が描かれた記事がこれです。
「「信仰」って何だろう?」
http://christianstudent.blog27.fc2.com/blog-entry-165.html



そんな私の転機になったのは、大学時代の一つの出来事でした。

その時の記事がこれです。
「信仰」
http://christianstudent.blog27.fc2.com/blog-entry-452.html



大学時代のKGK(キリスト者学生会)の中での出来事。
絶対に間に合うことができないと思っていた聖書研究会の前に、必死になって祈りました。

「神様、もし御心なら、この聖書研究会に行けるようにしてください!!!!」

何度も何度も祈った結果、神様は僕が無事に行けるように助けてくださったのです。


それが、とっても嬉しかった。

改めて「目には見えないけれど、神様は生きておられる!」と確信したし、神様が働いて下さることを信じて、そしてそれがかなえられたことで、僕の中に小さな「信仰の芽」が芽生えたことを感じたのです。


それからというもの、僕は一つひとつを神様を信じて、委ねていくようになりました。
最初は小さなことでしたが、神様への信頼が増し加わるようになる中で、少しずつ大きなことも神様に委ねることができるようになりました。

そして今では、「人生」という大きな大きなものを神様に委ね、こうして一人大阪で生きています。


縁もゆかりもない大阪に来るということは、大きな決断でしたが、神様がここに遣わしてくださったのだという平安がいつもありますし、実際に自分は想像もできなかった出会いや成長など、素晴らしいものがたくさん与えられました。
そして、神様と僕の関係は更に深まっていきました。



最後に、この神様との僕の数年間を通して、「信仰」について教えられた三つのことをシェアしたいと思います。


一つめは、とてもシンプルだけど、大切なこと。

それは、
「信仰は、信じる者にしか与えられない。」
ということ。


信仰は、頭で考えても分かりません。
目に見えない神様を信じ、そして神様が応えてくださったことを受け取らない限り、決してつかむことができません。



二つめは、
「神様は小さなものから信仰を試される。」
ということ。

僕も、最初から人生や結婚など、大きなものを神様に委ねることはできませんでした。
目の前にあるひとつの問題や、ひとりの人との人間関係など、まず小さなことを神様に委ね、その中で信仰が芽生え、訓練されることで、少しずつ大きなことも神様に委ねることができるようになります。



三つめは、
「信じるということは、委ねるということであり、その主導権・決定権を完全に神様に明け渡さなければならない。」
ということ。

これは、とても重要なことで、かつとても難しいことでした。


たとえば、結婚について。
「神様、あなたを信じます!あなたが最高の結婚を与えてくださることを信じます。」
という信仰を持つとき。

僕らは、その結果を全て委ねなければなりません。

もしかしたら神様は、
「あなたはまだ結婚する時ではない。」

もしくは、
「あなたは一人で生きていくよう召されているよ。」
と語られるかもしれません。


また、もしかしたら神様はあなたが描いている「理想の男性(女性)」とは全く違うタイプの人にあなたを導くかもしれません。


それでも、
「神様が用意しておられる計画が、私が計画していたものよりも遥かに素晴らしいものです!」
と信じて、委ねていかなければならないのです。

人は生まれながら、罪を抱えて生きる中で、気付かぬうちに自分のイメージや考えを一番大切にしています。
しかし、神様を信じるということは、それらを全部捨て去り、神様に一切の主導権・決定権を委ねなければならないのです。


だからこそ、小さいことから、神様は僕らの信仰を訓練されるのです。

「えっ、神様こんな風になるなんて・・・全然自分のイメージと違う!!神様なんでですか。」
僕もこんな風に思ったことが、何度も何度もありました。


でも、その後に必ず、
「あぁ、これで良かったんだ。やっぱり、自分の考えやイメージではなく、神様が導かれたものが最善だったんだ。」
と気づかされてきました。

そんな日々の中で、神様への信頼はどんどん増し加わってきたのです。



2016年が始まりました。
皆さんの新しい一年が、神様を信じ、委ね、従う一年になりますように。
皆さんを通して、神様の素晴らしい計画が成し遂げられますように。


P.S. 今日は久しぶりに実家の北海道北見市に帰ります!
楽しみです♪

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