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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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基本的なこと。

こんばんは!


だいぶ、御無沙汰してしまいました。


実は、ブログの記事は何個か並行して書き進めているんです。


でも、なかなかアップができなくて…


ことばを大切にしようと思えば思うほど、ことばに詰まります。


ただ、これもまた二つの側面があって、慎重に、丁寧にことばを選ぶことが大切である一方、勇気を出してことばを伝えることも大切。


今日は、勇気を出します!笑



この1か月、僕にとって、本当に大きな「気付き」が与えられました。

今日はそのことをお伝えしたいと思います。



このことばが、神様の導きの中で、伝わるべき人に伝わりますように。




先日、研修医の同期たちと旅行に行ったんです。

淀川キリスト教病院では恒例の行事で、研修を修了するにあたって、14人の同期全員で旅行に行くことが許されています。


行先は、城崎。

北海道人の多くの方は、この読み方が分からないですよね。

僕も最初は分かりませんでしたが、どうやら「きのさき」と呼ぶようです。

北海道では見たことがないような、素敵な温泉街でした。


その街には「外湯(そとゆ)」と呼ばれる温泉屋さんが7つあり、旅館に荷物を置いた後は浴衣に着替えて、下駄をカランコロンと鳴らしながら、その温泉を一つずつ回るんです。(大抵一回の旅行では全部回れないそうですが。)


もちろん、僕ら以外にもたくさんの観光客が居て、旅館ごとに色の違う浴衣を着て歩いています。


なんとも、風情がありました。




ただ、旅館に着いた後、僕はちょっとばかり失敗をしてしまいました。

同期に対して、言わなくても良いことを言ってしまいました。

出さなくても良い感情を出してしまいました。



うーん。。

正直、それから数日とっても落ち込んだんです。



何に落ち込んだのかというと、

「自分がまだこんなにも未熟だったんだ」

ということに落ち込んだんです。



もしかしたら、読んでおられる方の中には、僕が何を言っているのかよく分からない方もいらっしゃるかもしれませんね。笑



ただ、これこそ、僕がクリスチャンとしてこれまでしていた、大きな大きな勘違いだったんです。



つまり、僕はこれまで、クリスチャン的に言うなら、『行い』に寄りかかっていたんです。


自分がしたこと。

自分が話したこと。


それが、自分のイメージしている通りならば、自分の中の『良いことリスト』に入っていることならば、僕はとっても元気になります。


人の相談に乗ったり。

人を励ましたり。

仕事を一生懸命できたり。

聖書をきちんと読めたり。

お祈りしてゆっくり神様との時間を取れたり。


これら『良いことリスト』に入っていることができていると、僕はとっても元気で、晴れやかで、明るくなります。



でも、逆に言うと、『良いことリスト』に入っていることができないと、とっても落ち込むんです。

だから、今回の旅行で、行儀の悪いことをしたり、人を嫌な気持ちにさせてしまったりして、あんなにも落ち込んだんです。




でも、家に帰ってから、落ち込んだ気持ちで数日過ごす中で、


「あれ…これって、もしかして俺は大きな勘違いをしているのかも…」

って気付かされたんです。



そう、僕がこれまでクリスチャンとして、寄りかかっていたのは、「行い」だったんです。


そのことに気付かされてから、僕は自分の一日一日を観察してみました。

すると、本当に、僕の一日は「行い」に引っ張られてばっかりだったんです。


ちょっとでも仕事に身が入っていなかったりすると、

「自分はこんなんじゃだめだ。クリスチャンとしてだめだ。」

と自己批判し、落ち込み。


余計なことを言ってしまっては、

「だめだ…またやってしまった。」

と落ち込んでいました。



この考え方の問題点は、実は僕自身の気持ちだけではないんです。


それ以上に危ないことは、「行い」に引っ張られてしまうと、同じように「行い」で周りの人たちを批判してしまうということ。



「あの人は、クリスチャンとしてどうなんだろう。」

「あの人、あんな失敗をして…。」



そうやって、クリスチャンも、クリスチャンじゃない人も、たくさんの人を批判していたことに気付かされたんです。



でも、聖書にははっきりと書いてあります。


「すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。」
ローマ人への手紙2章1節



本当にその通り。


僕は、周りの人たちを心のどこかで批判していましたが、振り返れば、僕自身同じような失敗をしていたんです。

なのに、人のことばかり批判していました。


本当につくづく、自分っていう人間の未熟さを知りました。




それでは、クリスチャンとして、「行い」に寄りかからずに、何に寄りかかれば良いのでしょすか。

神様は、聖書を通して教えてくださっています。


「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
ローマ人への手紙3章24節

「人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。」
ローマ人への手紙3章28節



そう。


僕は、僕自身の「行い」では、決して救われない。


ただただ、イエス様を救い主として信じる、「信仰」によって救われている。



そんな基本的なことに、僕は改めて気付かされました。


正直、自分でも、クリスチャンとしてこんな基本的なことをまだと分かっていなかったのかと、びっくりしました。


ただ、頭で知っていることと、真に悟っていることとは違うのだと思います。



今回、このことに気付かされて、本当に、本当に良かったです。



それからというもの、自分の毎日の生活の中で、少しでも「行い」に引っ張られているのを感じた時は、

「違う!!違う!!俺は、『行い』によっては救われてないんだ。イエス様のことを、信じているから、この信仰によって救われているんだ!」

って言い聞かせてます。


何度も、何度も。



そしたら、本当に気持ちが楽になりました。



人のことを、批判的に見づらくなったんです。
(今でも見ちゃうことがありますけどね(^^;)



自分も、罪人。

自分が誇れることは、イエス様を知っていることだけ。


そう思うと、とても穏やかな気持ちになれる。




僕は、自分の「行い」では救われていません。

イエス様を信じているから、救われているんです。

イエス様を信じて、その救いを喜んで受け取って、感謝して。


明日も、生きたい!!



おやすみなさい。

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