Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

従うこと。

こんばんは。

今夜もこのブログを更新できること、

心から神様に感謝します。



ここ最近の、

失意のトンネルを抜け、

妻と息子が里帰りしていている今は、

「ことば」の時なのかもしれません。


祈りつつ、神様が与えてくださることばを、

丁寧に綴っていきたいと思います。



今日は、当直明けでした。

昨夜は忙しく、身体も心も疲れ果てました。


帰りの足取りは重く、

いつもは気にならないリュックも、

かなり重く感じました。


家でゆっくりと眠った後、

行きつけの銭湯へ。


銭湯が好きなわりに、のぼせやすい僕は、

いつも少しお風呂に入っては、

上がって、壁にもたれてぼーっと上を見上げて、

また、少しお風呂に入る、

ということを繰り返します。



上を見上げると、

天井にある、曇りがかった小さな窓が見えました。


そこに映る空を見ながら、

深いためいきをつきながら祈りました。


「神様、、、なかなかしんどいです・・・」


身体と心の疲れがどっと押し寄せる時、

弱音を吐きたくなります。


「僕は、この地で、医師という仕事ずっと続けていけるのだろうか・・・」

と。



お風呂から上がると、

決まって、

350mlのカルピスを飲み、

今週のワンピースを読みなおします。笑



ワンピースは本当に面白い。

なんか、元気が出ます。



そして、帰りに妻とよくいった喫茶店に行き、

野菜のたっぷり入った定食を頼みました。


いろんな野菜の入ったおかずを、

ひとつずつ、神様に感謝して食べました。



食べ終わって一息つき、

僕はある本を開きました。


それは、数年前に北海道の信仰の友がプレゼントしてくれたもの。


彼は、僕が心から信頼している人で、

お互いの誕生日には信仰書を送り合っているんです。



ただ、活字慣れしていて、なおかつ信仰書をよく読む彼が送ってくれる本は、

当然文字数が多く・・・笑

正直挫折してしまった本もいくつかありました。

(もしこのブログを読んでいたら、この場を借りて・・・ごめんなさい。笑)


この本もその一つでした。


ボンヘッファーが書いた、

「キリストに従う」という本です。



実は、先日ネットで聞いた礼拝メッセージでこの本について語っておられ、

ふと思い出して、本を引っ張り出してきたんです。



この本は、

さっきの野菜たっぷりの定食と同じように、

僕の霊に必要な栄養素を与えてくれました。


本を読みながら、

改めて、

「キリストに従う」とはどういうことなのかを考えていました。



僕自身の歩みを振り返ると。



前回のブログの通り、


神様に出会い、

そして神様が僕のいのちに介入された中で、

ひとつひとつを手放させてくださいました。



そして、その後、

神様は僕に語りけてくださったのです。



「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」

「こわがらなくてよい。

 これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」

ルカ5章4節、10節



語られた時は、正直何のことを言っておられるのか分かりませんでした。


でも、神様はそんな僕を知っておられ、

何度も、何度も、この箇所を示してくださり、


当時の僕が想定していた、

医師としても、クリスチャンとしても、

北海道に留まり続けるという道ではなく、


大阪という、縁もゆかりもない地に出ていくように導かれました。



あれから3年経ち、

さっきのように、僕は弱音を吐いています。


「僕はこの地で、、やっていけるのだろうか・・・」

「僕は医師として、、やっていけるのだろうか・・・」

疲れ果てた時、僕の口からは弱音がこぼれます。



しかし、僕はその度にこの神様の約束を思い出すんです。



そして、思い出すたびに、

人間が自分の力では絶対に得ることができない、

「平安」

という神様からの贈り物を受け取るんです。




「ここに遣わして下さったのは・・・神様だ。」

「僕を医師として召して下さったのは・・・神様だ。」


「神様が、僕を守って下さる。神様が僕を支えて下さる。」



僕がこの地で医師として立つ根拠は、

僕自身にはないのです。


約束してくださった、神様にあります。





先ほど、妻と電話で話していました。

今の淀川キリスト教病院小児科での研修を終えた後に、

僕らはどこに進んでいくことが良いのだろうということでした。



正直、僕も妻も、

結婚して、子供も生まれた中で、

心には、人間的な「安全本能」が作動します。



「できるなら、あまり変化のないほうが良い・・・」

「できるなら、あまり負担のかからない場所が良い・・・」




一方で、ふたりでゆっくりと分かち合う中で、

改めて、そうではなく、神様に聞くことに導かれました。



僕らの内側から語り掛けてくる「安全本能」や、

周りの人たちのことばや状況という「常識」は、

一見、その通りに思えます。

あたかもそれが答えであるかのように思えます。



しかし、違うんです。


僕らは、神様に生かされ、神様に導かれている。

神様が、イエス・キリストを通して私たちを救い、

神様とともに生きる人生に召して下さった中で、

安全本能や常識で決断してはいけないのです。


そこには、さっき書いた、

「平安」はありません。



神様に求めます。


この先、僕らの家族に神様が持っておられる計画は、

どこにあるのかを、神様に本気で求めていきます。



神様が、僕らに用意しておられる計画は、

僕らの思いをはるかに超えて、

素晴らしいものだから。




「わたし(神様)の思いは、

 あなたがたの思いと異なり、

 わたしの道は、

 あなたがたの道と異なるからだ。

 -主の御告げ-


 天が地よりも高いように、

 わたしの道は、

 あなたがたの道よりも高く、

 わたしの思いは、

 あなたがたの思いよりも高い。


 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、

 必ず地を潤し、

 それに物を生えさえ、芽を出させ、

 種蒔く者には種を与え、

 食べる者にはパンを与える。

 そのように、

 わたしの口から出るわたしのことばも、

 むなしく、わたしのところに帰っては来ない。

 必ず、わたしの望む事を成し遂げ、

 わたしの言い送った事を成功させる。」


 イザヤ55章8-11節

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