Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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弱さを誇るということ

9日から12日までのEMFキャンプは、
本当に主に祝されたものでした。
新しい出会い。
新しい学び。
新しい希望。
本当に参加して良かったです。


このキャンプを通して、一箇所の聖書箇所が示されました。

私自身については、自分の弱さ以外には誇りません。
                   Ⅱコリント12:5b


というのも、私はEMFキャンプが始まって、
時間が進む中で主によって自分の悪い性質にとことん向き合わされました。

どうしようもない高慢な思い。
人を見下し、粗探しする思い。


嫌というほど、主は私の「悪」であり「弱い」部分に向き合わされました。
その中で、自分が本当に嫌いになりました・・・。

なぜ私はこうなのだろう。
なぜ私はこんな弱いのだろう。
いっそのこと、この弱さが全て取り除かれたらいいのに・・・。


このような思いが湧き上がって来ました。


その中で示されたのが上のみことばだったのです。


私は、全くこのみことばを吸収することができませんでした。
パウロの言う、
「弱さを誇る」
という意味が全く分からなかったのです。
なぜ、自分の弱さを誇れるのか・・・



EMFの中でメッセージがたくさん語られ、
ちょっとずつ頭で理解できるようにもなりましたが、
どうも心のどこかで腑に落ちない自分がいました。



そして、今日旭川に帰ってきて、
寝ようと思ったこの瞬間、全てのなぞが解けました。



「自分の弱さを誇る」


それはすなわち、



「キリストに、十字架に立ち返る」


このことを意味していたのです・・・。



キリストは罪は犯されませんでしたが、
私と同じ「弱さ」から来る誘惑にあわれました。
ゆえに、私の弱さを身をもって体験してくださいました。
そして、その「弱さ」を「強さ」に変えるために、
キリストは十字架にかかられました。
人のすがたとなられ、そして苦悩の末に、
父なる神のみこころに従って十字架にかかられました。
鞭打たれ、釘打たれ、渇きの末に死なれました。
彼の血潮が私を聖め、彼の叫びが私の「弱さ」を「強さ」に変えてくださいました。


したがって、私が自分の弱さを見つめるということは。
私が自分の悪に目を向けるということは、
それを身をもって体験し、強さに変えてくださったキリストに立ち返ることなのです。


だから、パウロは「弱さを誇る」、
「私を愛してくださったキリスト・イエスを誇る」
と語ることができたのだと思うのです。


私は、キリストを思い、私の弱さを誇ります。
なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
                    Ⅱコリント12:10b

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