Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

罪人のかしら

実は、最近引越しをしたばかりで自宅にネット環境がありません。
したがってこの文章を書いているのは、8月26日なのですが、
アップするのは27日という状況です。


今日は、夏休み明け最初の聖研がありました。
その中で今年の4月から聖研に参加してくださった方に
こう言われました。
「○○君(←私です)は、最初会ったとき恐かった。
 学校では、ズバズバひどいことを言ったりしていて。
 ○○君はこの場にいるみたいに善良な男性なのか。
 それともきつい、恐い人なのか・・・。
 どっちが本当の○○君なんだろう。って考えたことある。」


真正面からグサリと刺された気がしました。
一瞬涙が出そうになりました・・・。
そう言ってくれた方が、
憎らしかったからではありません。
悔しかったからではありません。


私の罪深さ、過去の過ちに目を向けさせられたからです。
私は周囲の人にそう思わせるような生活を
送っていたことに改めて気付かされたからです。
今だからこそこのようにブログでみことばをつづっていますが、
今年の3月に主に変えていただく以前の私の生活は本当に悲惨なものでした。
決して主の証人などではなく、
むしろ私を見て、
「あれで、クリスチャン・・・?」
と後ろ指をさされるような人でした。
私は本当に罪深い人でした・・・。


そんな過去の自分に再度向き合わされました。

できるなら、この過去を忘れたい、
人生をリセットしたいという思いもあります。
この過去を認めたくないという肉の思いもあります。
しかし、紛れもなく、過去の出来事、犯した罪すべて含めて私なのです・・・。


そんなとき、私の心にはある箇所が浮かんできました。


「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」
 ということばは、まことであり、
 そのまま受け入れるに値するものです。
 私はその罪人のかしらです。
 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、
 イエス・キリストが、
 今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、
 まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

                      Ⅰテモテ1:16


この通りです。
私は、本当に罪人のかしらです。
クリスチャンホームに生まれながらも、
好き勝手に行き、主の声に背を向けて生きてきました。
でも、そんな私を主はお見捨てにならなかった。
わが子と呼び続けてくださった・・・。
こんな私のためにこの世に来られた・・・。
この上のない愛を注いでくださった・・・。


だからこそ、私は伝えなければなりません。
私は主に喜ばれるものとして立ち上がらなければなりません・・・。
私は自分の全てをささげて、主に従っていきたいです。
それが自分の十字架を背負うことだと思うのです。

スポンサーサイト

該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。